当分野の前身である日本大学医学部第2外科学教室の創設は、今から半世紀以上前に遡ります。
大正14(1925)年、駿河台病院内に創設された日本大学専門部医学科外科学教室が昭和26(1951)年より三外科制に改組され、第2外科学教室は小坂親知教授のもと、板橋において教育診療に従事することとなりました。
その後は鈴木忠一郎教授に継承され、昭和31(1956)年に宮本忍教授が赴任されてから、胸部外科を中心とする研究・診療が始まりました。
20年間にわたり、日本大学に胸部外科学の基盤を築いた宮本教授の下で、肺結核外科から心臓血管外科へと研究の中心を移行し、昭和51(1976)年に瀨在幸安教授に引き継がれました。
昭和45(1970)年、虚血性心疾患に対してA-Cバイパス術をわが国で最初に成功させ、昭和57年には補助人工心臓の本邦初の離脱例を得るなどの業績を残し、心臓血管外科を発展させました。
平成10(1998)年、根岸七雄教授に引き継がれ、平成16(2004)年4月に行われた内科・外科学講座の大講座への統合により、これまでの第2外科学教室は心臓血管外科部門と呼吸器外科部門の臓器別講座に改編されました。
さらに平成21(2009)年6月には外科学系の部分再編が行われ、心臓血管・呼吸器・総合外科学分野となり塩野元美教授が就任しました。
その後、2016年1月に日本大学医学部外科学系が6分野へ再編されたことにより、心臓血管外科分野が独立しました。
4月には湘南鎌倉総合病院から1996年日本大学卒業の田中正史主任教授が44歳の若さで赴任し、新たな日本大学医学部心臓血管外科の歴史がスタートしました。